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 川倉靖史

Author: 川倉靖史
イタリア公認添乗員です。
1995年よりミラノ在住。

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6月2日のイシンバルディ宮。
6月2日(月)は共和国の日のために祝日となっています。
イシンバルディ宮では午後14時から18時に、宮殿内部を施設関係者が案内する無料ガイド付きツアーとして一般開放しているそうです。

現在、ミラノ県庁が入っているこの建物は元々は1400年代の建物ですが、その後数世紀に渡って数度も改造されています。
土台の上に立つドーリア式の円柱に支えられた五つのアーチがそれぞれの側にある迎賓の中庭は、16世紀にさかのぼり、正面上層部に見えるモチーフのフレスコ画の跡は、現在英国式庭園になっている裏庭とともに、昔の貴族の館の優雅さを証言しています。
palazzoisimbardi.jpg

通りに面した後期バロック様式の広い正面は、後にある広大な庭に面してジャコモ・ジュゼッペ・タッツィーニが設計(1826)したネオクラシック様式の簡素なファサードとコントラストを見せています。
内部の装飾は、1700年代に修復したときのもので、上階の委員会室の間にはティエポロの大きなキャンパス画Apoteosi di Angelo della Vecchia(アンジェロ・デッラ・ヴェッキアの神格化)があります。
fc2blog_20140531151536519.jpg

1940年にジョヴァンニ・ムツィオが、ヴィヴァイオ通りに沿った二つの建物が塔によって繋がれている部分を増築しました。一つは大理石で上張りされ、入り口ロビーがあり、二つ目は、クリンカータイルで上張りされた建物で、事務所が入っています。



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ミラノ歴史 | 15:16:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
ミラノ記念墓地。
6月1日(日)に9時30分から18時15分まで、ミラノ記念墓地においてミラノ市立学校財団が主催するイベントがあるそうです。記事をざっくり読んでみると、映像学校関係の展示会のようです。

大空のもとに広がるミュージアムとされている記念墓地は、1863年から1866年にかけて建築家カルロ・マチャキーニにより設計されました。彫像、小礼拝堂、礼拝堂など多数の記念モニュメントを記念墓地内部に保存しています。

中世の時代、都市の城壁の内部に遺体を埋葬することは、伝染病の蔓延につながり、公衆衛生上深刻な問題となりました。いくつかの墓地は、人口の密集した都市の中心部から引き離されることになりましたが、次第に人口増加により居住地区も急速に増えミラノ市内には6つの墓地を保有することとなりました。
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現在はミラノ記念墓地だけしか残っていませんが面積は25万平方メートルにおよび、単純計算しても500メートル×500メートルという広さになります。
敷地は3つに区画され、中央部はカトリック信仰の家族や人物の墓のおかれている部分。左側は非カトリック、右側はユダヤ人のお墓が集まり、敷地の一番奥には火葬場も併設されていました。
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1867年に完成し、ピサ風ゴシック様式をロマネスク・ロンバルディア様式とあわせ、さらにビザンティン様式も一部加えられており、多数の様式が表現されている「折衷様式」です。

この記念墓地建築のために大勢の芸術家が参加し、中でもルーチョ・フォンターナ、メダルド・ロッソ、ジャンニーノ・カスティリオーニ、ジャコモ・マンズーなどが挙げられ、著名人物のお墓としては、アルトーロ・トスカニーニ、カルロ・フォルラニーニ、フランチェスコ・ハイエツ、ダヴィデ・カンパリなど。また、お墓ではないですが、ミラノがオーストリアに支配されていた時期、外交官として滞在していたモーツァルトの息子の石碑などもあります。

バベルの塔をイメージしたもの。
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最後の晩餐をイメージしたもの。
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cenacolo.png

特に重要なのが記念廟であり、大理石とレンガを用いたネオクラシック様式の巨大な建造物です。当初は教会として設計されたものの1870年以降はイタリアの重要人物の墓所として利用されるようになりました。
イタリア文学上最も重要な作家の一人、アレッサンドロ・マンツォーニ(1785年―1873年)や政治家カルロ・カッタネオ(1801年―1869年)などが奉られています。
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ミラノ歴史 | 22:38:08 | トラックバック(0) | コメント(0)
レニャーノの戦い。
今から838年前、1176年の5月29日にミラノの北に位置するレニャーノという小さな町で歴史を変えるような戦いがありました。

すべての始まりは1162年に神聖ローマ皇帝のフリードリヒ1世がミラノを全て破壊したところから始まります。彼は歴代神聖ローマ皇帝の中においては有能で、後世では英雄とまで呼ばれ、また、赤みを帯びたブロンドの髭を持っていたことから、赤髭王(バルバロッサ、Barbarossa)と呼ばれていました。


ミラノが舞台の映画です。中世のミラノはこんな状態でした。

フリードリヒ1世はイタリア政策に力を注ぎ、5回にわたるイタリア遠征を行ないましたが、1162年に敵対するミラノに侵攻して同地を破壊、このため1165年に教皇アレクサンデル3世から破門されてしまいます。その後、1168年から北イタリアの諸都市がフリードリヒ1世のイタリア政策に不満をもってロンバルディア同盟を結成すると、フリードリヒ1世はこれに危機感を覚えて1174年に再びイタリア遠征を実施します。これには国内でもハインリヒ獅子公をはじめ遠征反対論が多く、結果として、1176年にはレニャーノの戦いで大敗してしまいます。
このため1183年にフリードリヒ1世は講和を結ばねばならなくなり、イタリア政策は事実上失敗に終わりました。

彼に対抗するため、ミラノを中心としたロンバルディアの都市はローマ教皇アレクサンデル3世の支持を得て軍事同盟「ロンバルディア同盟」を結成しました。1167年12月1日に結成された北イタリア・ロンバルディア地方の26の都市(クレモナ、マントヴァ、ベルガモ、ブレシア、ミラノ、ボローニャ、パドヴァ、トレヴィーゾ、ヴィチェンツァ、ヴェローナ、ローディおよびパルマ等)による軍事同盟で、後には経済同盟の性格も持つ教皇派の中心の組織です。
1280px-La_battaglia_di_Legnano_di_Amos_Cassoli.jpg

その時、戦いの指揮をとったのが、アルベルト・ダ・ジュッサーノ 。イタリアの軍人、コンドッティエーレ。ミラノ近郊ジュッサーノ出身。 彼の功績をたたえ、イタリア王国海軍のコンドッティエーレ級軽巡洋艦アルベルト・ディ・ジュッサーノにその名前が使用されています。
レニャーノの戦いにおいて、ロンバルディア同盟軍を率いてフリードリヒ1世に対抗し勝利しました。
Monumento_-Alberto_da_Giussano-.jpg

これが、1176年5月29日ということです。



ミラノ歴史 | 15:24:34 | トラックバック(0) | コメント(0)
ミラノ万博の関連イベント、最終週。
おおよそ130の万博関連イベントが5月に行われ、今週はその最終週になります。

昨日、ミラノのドゥオーモ広場で行われた野外コンサートはフィンランド出身の指揮者、エサ=ペッカ・サロネンと、中国出身のピアニスト、ラン・ランのラフマニノフ作曲「ピアノ協奏曲第2番」でした。オーケストラはスカラ座交響楽団。


今回のイベントは保険会社のアリアンツ、銀行のウニクレーディトがスポンサーとなっているため来場しているのはほぼ関係者でした。
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しかし、200席だけ一般開放されるというので朝7時30分に並び、9時にチケットを入手出来ました。一応、整理券は出たのですが、列に並んで待つという概念が欠如しているイタリア人の中で得た戦利品です。

客席の周りはモニターを見ながら音楽を聞くことも可能で多くのクラッシクファンが集まっていました。
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ピアノ協奏曲の後にアンコールでショパンの「華麗なる大円舞曲」があり、後半はストラヴィンスキーの「春の祭典」のあと、アンコールで「火の鳥」の後半部分を演奏していました。

ストラヴィンスキーは1882年生まれで、春の祭典の作曲した1913年には31歳。ラフマニノフが生まれたのは1873年、ピアノ協奏曲2番は1901年で28歳の時。

大してこの二人の時代に相違ないのですが、このあたりの芸術は過渡期だったのでしょう。180度どころか540度くらい異なる方向性です。

実は春の祭典は今回はじめて聞いたのですが、イタリアの詩人フィリッポ・トンマーゾ・マリネッティにより、1909年にフィガロ紙上で発表された芸術思想文書「未来派宣言」の一環かと思ってしまうくらいでした。
一小節ごとに4/16 →5/16 →4/16 →5/16 →2/16 →4/16と、拍子が不規則に変わるフレーズが延々と続く楽譜を見た時に演奏家は何を感じたでしょう…。
建築家のザハ・ハディッドのデザインを見た時に周りの人間は口をそろえて「こんなの建築できるわけない」というのと同じではないでしょうか。

でも実現が出来るんですよね。人間の能力に限界はないんです…。

ということで、記念撮影です。
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未分類 | 17:09:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
ミラノ万博で「エキスポ・アンバサダーのカカ」。
「ブラジルの至宝」や、「神に最も近い存在」などの異名を持つスーパープレイヤー。イタリアの名門・ACミランに入団したサッカー日本代表・本田圭佑選手のチームメイトとして、注目が集まっているカカ選手。

本名が、リカルド・イゼクソン・ドス・サントス・レイチとは存じませんでした。一つも「カカ」と繋がってないじゃんか、と思っていましたら、幼い弟が本名の「リカルド」を発音できずに「カカ」と呼んでいたことに由来するそうです。

Ricardo Kakàと表記されているので、てっきりカカが苗字かと思っていました。厳密に言えば「リカルド」と「カカ」は同じことですよね。「サハラ砂漠」とか「チゲ鍋」みたいなものでしょうか。

さて先日、彼はミラノのマリオットホテルで行われた第19回「PREMIO GENTLEMAN 2014」において「Premio Gentleman Serie A 」を受賞していました。
ちなみにノミネートされた10名の中には長友選手の名前も上がっていましたが、掃いて捨てるほどいるイタリアのスター選手の中からノミネートされるだけでも凄いと思います。

そして今回、カカはエキスポ・アンバサダーにも任命されたみたいです。
有名人はいろんなお付き合いで大変だ…。



あなたにとって万博は何を意味していますか?
 ーいろんな意味合いがありますが、国際化されたミラノという街で多くの人が各国のテーマを見ることができることです。

あなたの街、ミラノにとって、万博はどういった象徴的なものであって欲しいですか?
 ーミラノやイタリア、またはイタリア人、ここに住んでいる人たちにとって最大限に利用できる唯一の機会だと思います。

好きな料理は何ですか?
 ーブラジル料理の豆入りのライスです。あと肉。これは私の好きな料理です。

と言った内容です。




ミラノ万博記事 | 06:40:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
建築家の死とアーケードの生命力。
今から137年前にこのアーケードが作られ、ドゥオーモ広場からスカラ座広場まで「直で」行けるようになりました。それまでの地図と重ね合わせると、古い集合住宅が密集しているためスカラ座に行くには、現在のリナシェンテ(デパート)の脇の細い路地を通過するしかありませんね。
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1861年にイタリア王国が建国され(現在のイタリア共和国になったのは1946年)アーケード建築の企画が上がりました。最終的に176人の中からコンペに勝ち残った、建築家ジュゼッペ・メンゴーニによって1861年にデザインすることとなり、イタリア王国の初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世にちなんで名づけられ、1865年から1877年の間に建設されました。

一応、地鎮祭のようなものは行われたみたいです。
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しかし不幸なことに、ジュゼッペ・メンゴーニはオープニングを見ることなく建築中の足場から転落し、1877年12月30日に死亡しました。オープンの数日前だったそうです…。

いままでこの地に住んでいた住人は強制退去したのかといえば、実はこのアーケードの一部は住居としても使用され、そこに住んでいた人が亡くなるまではそのまま住む権利を与えられたそうです。
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「ミラノのサロン」と言われたアーケードに住むのはホントに凄いことだと思います。私はふと、自宅が再開発に引っかかるため土地の値段が上がり、笑いが止まらない友人を思い出しました…。

中心部の広場は八角形になっており、その上の丸天井はもともとガス管を使った照明設備でした。そこで使われたのがこの「Rattin」、ミラノの方言で「ネズミ」と言う意味。これが天井付近に取り付けられレールを一周することでガス管の火を点ける、というシステムになっていました。
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その後、電気の照明に変わったのですが、公共施設で電気が初めて使用されたのが、アーケードとスカラ座だったそうです。

未来派の芸術家、ウンベルト・ボッチョーニの絵画「アーケード内の喧騒」のモデルとしても有名です。
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第2次世界大戦で空襲を受け、現在のインテルショップの前はこんな感じになっていたようです。
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建築家は不幸な死を遂げてしまいましたが、彼の魂を受け継いだヴィットーリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアは幾度となく生き返り、さらに今年の修復で不死鳥のように蘇ることでしょう…。



ミラノ歴史 | 22:31:17 | トラックバック(0) | コメント(0)
アーケードのお色直し。
88のショーウィンドー、330の窓枠、表面積13500平方メートルのお色直しがミラノ・ヴィットリオ・エマヌエーレ2世のガッレリアの内部で行われています。
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3月10日から始まり2015年4月のミラノ万博前に終了予定ですが、この一年はずっと修復のための足場が組まれた状態となっています。

ガッレリア中心部の通称「オッターゴノ(八角形の部分)」は従来の修復と同じ足場が組まれていますが、その他の修復の足場にはレールが敷かれた可動式になっており、徐々に移動してくタイプになります。
Ponteggio Galleria 03-2

今回の修復にはミラノ市は一切出資しておらず、3000000ユーロ(約4億円)という金額はプラダ、ヴェルサーチ、フェルトリネッリが出資しました。

ルイ・ヴィトンは出さなかったのか…。





ミラノ万博記事 | 13:53:19 | トラックバック(0) | コメント(0)
あなたを見ている誰か。
建築中のミラノ万博会場がどの程度進んでいるかをライブ映像で配信されています。
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http://www.skylinewebcams.com/it/webcam/italia/lombardia/milano/rho-pero-expo2015.html

ここのサイトはイタリアの観光名所の映像がライブで見ることができます。

トレヴィの泉でも。
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http://www.skylinewebcams.com/it/webcam/italia/lazio/roma/fontana-di-trevi.html

スペイン階段でも。
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http://www.skylinewebcams.com/it/webcam/italia/lazio/roma/piazza-di-spagna.html

コロッセオの修復の様子も。
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http://www.skylinewebcams.com/it/webcam/italia/lazio/roma/colosseo.html


世界中の誰かはあなたを見ています。



ミラノ万博記事 | 22:00:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
ミラノ・マルペンサ空港の紛失物が競売にかけられます。
6月11日と12日の9時から13時にマルペンサ空港でお披露目会が行われ、6月13日(金)の9時30分から競売が始まるそうです。

競売品はこちら。
http://www.givg.it/schede/scheda11992.pdf

163品中、ipadが32品。中には20個のデジカメが入って一袋とか、60個の時計が入って一袋なんていうものもあります。
多くの人が行き交う空港はいかに紛失物が多いか、というのが分かります。

現在、マルペンサ空港は2015年のミラノ万博準備のため、工事中の部分も多く、税関の場所も今までの場所とは真逆のところに移転準備をしています。せめて、いつから移転するのか張り紙でもあればいいのですが、こればかりは誰もわかりません。今までのところに行ってみたら「もぬけの殻」だったなんてこともあります。
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古いガイドブックの情報は破棄し、常に新しいものを得ることが大切ですね。

出発ゲート付近ではラグジュアリー広場というのが新しくオープンし、8000平方メートルで46店舗のスペースがあるそうです。現在も場所によってはゲートに行く前に免税店を通過しないと行けないようなところもあり、最後の最後まで買わせようという意気込みを感じます。
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中でも注目されているのが「ダヴィデ・オルダーニ・カフェ」。
ダヴィデ・オルダーニは料理界の巨匠、グアルティエーロ・マルケージの弟子で、普段はレストランに行かなければ食べられないものを、出発前のひと時に昼食やカフェなどを堪能できるようになっています。
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時期によっては空港が異常なくらいまで混みあうこともあるので、早めに行って空港内でゆっくりを過ごしたほうが良いかもしれませんね。



ミラノ空港 | 19:59:39 | トラックバック(0) | コメント(0)
コリエレ斜め読み。その3
タクシー運転手の抗議活動がミラノ中心街、スカラ座広場で行われました。
「Uber」に対しタクシー運転手が反対デモを行っています。
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スマートフォン経由でハイヤーを予約できるようにし、利便性を高めたアプリ「Uber」がミラノに上陸し、最近になって、タクシー運転手たちの反対と法律上の問題が浮上してきました。
「Uber」は「運転手付きの貸切自動車」をスマートフォン経由で予約できるシステムで、このアプリを不公平な競合だというタクシー運転手たちの主張ということです。

法律上の問題点としてあげられるのは、ハイヤーの運転手は道路で顧客からのオーダーを待っているのではなく、車庫で待機をしていなければならないのがタクシーとの違いです。さらに合意が成立して料金が定められて初めて出発することになっています。

「Uber」のサービスは、取引のスピードを速めるためにスマートフォン経由でハイヤーを予約することであり、違法かどうかは微妙なところみたいです。
法律を解釈しながら、スマートフォン経由で行われる行為が、顧客と交通業者によって交わされる契約の代替になっているかどうかを判断する必要があるそうです。

確実にタクシー業者のライバルになりますが、ミラノ万博で利用者の増加を狙っていたタクシー運転手にとって脅威な存在となっています。

利用者にとっては安くて便利であるならどちらでもいいんですけどね。
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未分類 | 22:34:56 | トラックバック(0) | コメント(0)
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