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 川倉靖史

Author: 川倉靖史
イタリア公認添乗員です。
1995年よりミラノ在住。

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気がつけば市民権を得ていた「ハロウィン」
Halloween-a-Milano.jpg

ハロウィンは、収穫を祝い悪霊をはらう古代ケルト人の祭りが起源とされ、カトリックの「諸聖人の日」前夜の10月31日に行われます。

「ハロウィン」の語源は、カトリック教会で11月1日に祝われる「諸聖人の日」の前夜にあたることから、諸聖人"All Hallows”の「eve(前夜)」、”Hallows eve”が訛って、"Halloween"と呼ばれるようになったとされています。

諸聖人の日は、もともと東方教会に由来するもので、カトリック教会では609年に導入され、当初は5月13日に祝われていましたが、8世紀頃から英国やアイルランドでは11月1日にすべての聖人を記念するようになり、同時代のローマ教皇グレゴリウス3世(在位731年 - 741年)によって、11月1日に祝う習慣がローマ教会に広く導入されました。

ハロウィンという名称である「諸聖人の日前夜」はこれ以後に用いられるようになったと考えられ、現在確認されている使用例は、16世紀にみられるものが最古だそうです。

また、カトリック教会では諸聖人の祝日は祭日としていますが、10月31日のハロウィンは祭日ではなく典礼暦(教会暦)にも入っておらず、教会の宗教行事・公式行事として行われることはありません。カトリック教会を含めキリスト教の多くの教派・教会では、信徒が民間行事として楽しむことを容認していますが、キリスト教本来の習慣ではないので、プロテスタントでは多様な見解があり、いくつかの福音派は否定的だそうです。

ハロウィンがアメリカの年鑑に祝祭日として記録されたのは19世紀初頭以降のことです。ニューイングランドのピューリタンなどはハロウィンに強く反対する立場で、19世紀になりアイルランドおよびスコットランドから大量に移民が到着するまでは、ハロウィンが本格的に定着することはありませんでした。

現在、米国では、子供が魔女などに仮装して近所の家を訪れ、お菓子をもらうといった民間行事として定着し、日本でも宗教色は薄くコスプレ祭りのような感覚で若者を中心に受け入れられています。

日本では、キデイランド原宿店が1970年代にハロウィン関連商品の店頭販売を開始し、1983年10月には同じくキデイランド原宿店が販売促進の一環として日本初とされるハロウィン・パレードを開催しました。

あれから30年、現在はハロウィングッズの特設売り場を設け、子供や赤ちゃん用の仮装衣装、部屋を飾るカボチャの人形などを販売。ハロウィンの浸透を見越し、ミッキーマウスやシンデレラといった人気キャラクターの衣装も増やすなど、商品の種類を昨年より倍増させ、昨年の1・5倍ペースの売れ行きということです。

イベントの平均予算は3500円。100円均一ショップなどの商品が充実しているためか、手軽な費用で楽しむ家庭が多いということです。ハロウィンに参加し始めた時期は「2~3年前」が24%と最も多く、今年からの参加が9%。ここ5年間で参加するようになった人が約6割を占め、ハロウィンが急速に広まっていることを裏付けています。



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未分類 | 02:20:53 | トラックバック(0) | コメント(0)
ミラノ直行便。
2015年ミラノ国際博覧会に備え、成田ーミラノ間の運航を週7便(毎日1便)に増便することに決定いたしました。 2015年3月29日からは、日本とイタリアを直行便で結ぶ唯一の航空会社として、ローマ、ミラノへ毎日1便づつ運航いたします。他のイタリア都市へはローマ経由の乗り継ぎ便ご利用で、同日にご到着いただけます。

アリタリア-イタリア航空は成田―ミラノ間の運航を2015年夏スケジュールより週7便(毎日1便)に増便することに決定いたしました。
2015年3月29日からは、アリタリアは日本とイタリアを直行便で結ぶ唯一の航空会社としてローマ、ミラノへ毎日1便づつ運航いたします。他のイタリア都市へはローマ経由の乗り継ぎ便ご利用でで同日にご到着いただけます。

2015年夏スケジュール (2015年3月29日~10月24日)
成田 ⇔ ローマ・フィウミチーノ空港 AZ785/AZ784 毎日1便 B777-200
成田 ⇔ ミラノ・マルペンサ空港 AZ787/AZ786 毎日1便 B777-200

成田 ⇔ ヴェネツィア・マルコポーロ空港 2015年3月28日まで運航し夏スケジュールでは運航停止 
関空 ⇔ ローマ・フィウミチーノ空港 2015年3月28日まで運航し夏スケジュールでは運航停止 

2015年5月1日~10月31日まで、北イタリアのミラノで、ミラノ国際博覧会(ミラノ・エキスポ2015)が開催されます。
イタリアの主要航空会社、スカイチーム所属のアリタリア-イタリア航空と、アラブ首長国連邦の国営航空会社エティハド航空は、合同で2015年ミラノ国際博覧会のグローバル・オフィシャル・キャリア(公認航空会社)です。
アリタリアとエティハドのネットワークにより、自社便とコードシェア便合わせて、ミラノと世界560都市を結ぶ予定です。


ということです。




ミラノ万博記事 | 21:21:42 | トラックバック(0) | コメント(0)
レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像。
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イタリアの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチの現存する唯一のものとされる自画像が、トリノで開かれる展覧会で一般公開されると関係者が28日明らかにしました。劣化の見られるこの自画像が展示されるのはごくまれだということです。

このチョークで描かれた自画像が一般公開されたのは、20世紀中では3回のみ。30日から始まる企画展「レオナルドと王の宝物」では、約2か月半にわたって展示が行われます。

同企画展では、サルデーニャ王国のカルロ・アルベルト王が1839年に設立したトリノの王立図書館に収蔵されている作品約80点が展示され、この図書館の付近一帯は現在、ユネスコの世界遺産に指定されています。

トリノの文化遺産の修復とPRを担当する団体「コンスルタ」のマウリツィオ・チブラリオ代表によると、「同図書館には巨匠らの直筆文書4500点、羊皮紙文書1500点、デッサン3000点以上が収蔵されている」という。

2015年1月15日まで開かれるこの企画展では、ルネサンス期の芸術家ラファエロ、バロック期の画家カラッチ、オランダの巨匠レンブラントなどの作品も展示されるそうです。

また入場希望者は事前予約が必要で、30分ごとに25人の入場制限が設けらます。

レオナルド・ダ・ヴィンチの自画像は33,5x21,6 cmと比較的小さいもので、1513年~1515年頃のものではないかということです。1519年5月2日に亡くなっているので、63歳ころの彼の晩年期の様子です。

1513年9月から1516年にかけて、彼はヴァチカンのベルヴェデーレで多くのときを過ごしています。当時のヴァチカンはミケランジェロと若きラファエロが活躍していた場所でもありました。
1515年10月にフランス王フランソワ1世がミラノ公国を占領し、レオナルドはボローニャで開催された、フランソワ1世とローマ教皇レオ10世との和平会談に招かれたそうです。このときレオナルドは、胸部からユリの花がこぼれる絡繰仕掛けのライオンの制作を依頼されました。

Leonardos Robots - Book Mario Taddei -_Page_114

ヴァザーリやロマッツォの記録によれば、「フランソワ1世の目前で、レオナルドは精巧な機械仕掛けのライオンを動かした。ライオンは宮殿広間を横切り、歩みを止めると胸を開いた。胸は百合などの花々であふれていた。」この話を裏付けると思われているデッサンがマドリッド手稿Ⅰに記されています。



未分類 | 15:32:47 | トラックバック(0) | コメント(0)
決してひとりでは見ないでください。
トリノの出張から帰ってきたのですが、私の中のトリノといえば冬季オリンピックではなく、『サスペリアPART2』の印象が強い街でもあります。

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『サスペリアPART2』は、1975年公開のイタリアのダリオ・アルジェント監督によるサスペンス映画です。日本では1978年公開。現在、日本で販売されているDVDは「サスペリアPART2/紅い深淵」というタイトルとなっています。

もともと『サスペリア』というタイトル、「決してひとりでは見ないでください」というキャッチコピーで1977年に日本で公開され、ゴブリンというイタリアのバンドが奏でる恐怖の音楽が音響立体移動装置(サーカム・サウンド・システム)により増幅され一世を風靡しました。

サスペリアPART2はそれよりも前に撮影されたものですが、日本公開は後になってしまったということです。原題は「深い紅」と言います。

この場面は、アメリカ人作曲家のマークが泥酔した友人のカルロと出会い、雑談していたところに女性の悲鳴が聞こてきます。そしてアパートの窓越しに超能力者の女性が殺されるのを目撃してしまうというシーンです。

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奥にあるバーは撮影用に作られたものです。

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悲鳴が聞こえ。

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上の窓から助けを求める女性。

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ダリオ・アルジェントの映画はトラウマ映画であり、幼いころに見たこのシーンは一生忘れることはないでしょう。
40年前の様子がそのまま残っているのは、ちょっと嬉しく感じます。



未分類 | 05:32:30 | トラックバック(0) | コメント(0)
世界王者のピザ。
ピザの定義や語源は曖昧で、イタリアには「フォカッチャ」があり丸パンに具材を乗せるところから、ピザの原型とされています。
フォカッチャが作られる前にも、エジプトには円盤状のパンに具材を乗せて焼いた物が現ピザの調理法と酷似していることから、原型はエジプトからイタリアに伝来していると言う説もあります。
古代ローマでは、食器代わりに平らなパンが使われ。ピザの語は997年に南イタリアでラテン語で書かれた文献に登場します。また、ピザが現在の形に近くなったのは、16世紀にスペイン人がインカからトマトを持ち帰ってからです。
18世紀にはスペイン領ナポリの貧しい住民がトマトとチーズをパンに乗せる具として使い始め、19世紀後半にイタリア王妃マルゲリータが気に入ってから一般にも広まりました。

先日テレビで紹介されていた「ヴェッキオ・オットチェント」というピザ屋は、2013年ピザ世界大会で30カ国600人の頂点に立ったそうです。

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生地にトマトソースを広げ軽くバジルを振ってそのまま釜で2分半焼く。
その後、モッツァレラ、牛のカルパッチョ、ミニトマト、バジルの葉、南イタリア産の「ブッラータ・チーズ」を乗せたものがコチラ。

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世界王者のピザ。

さて、番組ではイタリア北部のヴァレーセと紹介されていましたが、確かにヴァレーゼなんですが、正確にはヴァレーゼ県のガヴィラーテ市という電車は単線しか通っていないヴァレーゼ湖畔の小さな町なんです。

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以前、この近くのホテルに宿泊したことがあり、この店の前を通過せた時、あまりにも混んでいたのでスルーしてしまいました。行っておけばよかったと今はとても後悔しています。



未分類 | 05:00:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
伝説の建築家、ザハ・ハディド。
国際的なコンペで優勝するものの、そのあまりに斬新なフォルムを有する建築ゆえに完成をみないまま立ち消えになってしまう。そんな伝説の持ち主だそうです。

女性初、最年少で建築界のノーベル賞ことプリツカー賞を受賞。イラク・バグダード出身、イギリス在住の女性建築家。現代建築における「脱構築主義」を代表する建築家の一人とされています。

建築における脱構築主義とは、ポストモダン建築の一派であり、1980年代後半以降、2000年代に至るまで世界の建築界を席巻しています。
脱構築主義の建築家の多くは実際の設計には恵まれず、もっぱら建築思想家として、また建つことのない建築のイメージを描いたドローイングで有名でしたが、MOMAによる『脱構築主義者の建築』展のあと、1990年代以降は各地で実際の建築を設計するようになっています。
ポストモダンの退潮後、モダニズム建築が復権するかたわら、脱構築主義は各国でのコンペに勝利することで、スタジアムや超高層ビルなどより広い活躍の場を得るようになりました。

ザハ・ハディドついては、さまざまな逸話があり、気性が荒いとか、頑固だとか、周りをイライラさせがちな人だとか。彼女と会った10分後には、もう彼女とは一緒に仕事をしたくない、と思わず決意してしまう同業者もいるらしいです。

新国立競技場の改築に向けた「新国立競技場基本構想国際デザイン・コンクール」において「ザハ・ハディド アーキテクト」が最優秀賞を獲得しました。選ばれたデザインは近未来的な流線型でメイン会場として使用される予定(?)となります。彼女はシャネルやルイ・ ヴィトンなどファッションブランドとの取り組みですでに日本でも知られていました。

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先日、ミラノ再開発地区「シティライフ」でザハ・ハディドが手がけた高級マンションがお披露目されました。

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ここは歴史的な街の中心地にありながらも、16万平米という敷地を要す一大都市計画のプロジェクトに3人の建築家、ザハ ハディッド、磯崎新、ダニエル リベスキンドが手掛けた、オフィスタワー・複合施設・集合住宅・公園等の施設が建築されます。

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5〜13階の様々な高さの7棟で構成されるザハ・ハディドの集合住宅のは、独特のしなやかな流動的なラインによって特徴付けられ、カーブ状のバルコニーが建物全体を覆っているデザインとなっています。環境と快適性の要件を考慮して、ほとんどのアパートは南東に向いており、テラスからは、街や公共の公園の最高の景色が眺められます。

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繊維コンクリートパネルと天然木のパネルで構成されたファサードは 、重厚な印象を与えながらも、流動的なカーブの建物の形状を強調すると同時に、住宅のインテリア空間にも躍動感とエレガント感を与えます。



未分類 | 06:07:01 | トラックバック(0) | コメント(0)
機体にロゴ。
アリタリア航空とエティハド航空は、2015年のミラノ万博のオフィシャル・エアラインを務めることから、両社のロゴと万博のロゴを機体に施した特別塗装機を就航させました。

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ミラノ万博は、2015年5月1日から10月31日までの半年間開催されるため、期間中に2000万人が訪れ、このうち3分の1が飛行機で訪問するとみられています。

特別塗装機は、ミラノ・マルペンサ空港、アブダビ空港で同時にアリタリア航空、エティハド航空のそれぞれのA330-200で披露されました。この機体は10月21日から営業飛行をローマ/アブダビ線で行い、ミラノ万博の開催を世界にアピールします。

なお、特別塗装機はアリタリア航空が機体記号「EI-EJM」、エティハド航空が「A6-EYH」です。いずれも「Expo」のロゴを前方に、後方にはアリタリア、エティハドのロゴが施されていますが、いずれも自社のロゴが中央に来るようになっています。

開催まで残り200日を切ってしまいました。
この冬のラストスパートが勝負となります。



ミラノ万博記事 | 06:41:38 | トラックバック(0) | コメント(0)
新ブロレット。
中世のロンバルディア地方一帯では、民衆の集会が開かれた広場や、市役所などの機能を持つ建物を「ブロレット」と呼んでいました。

もともと、現在の王宮のある場所に「旧ブロレット」が存在し、その後、中世の都市国家時代から18世紀に至るまで、市民の政治の中心であった集会場「新ブロレット」(薬の名称みたいですが…)は、現在のメルカンティ広場に1228年に着工されました。

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原型は正方形で、執政長官、商業組合、裁判所、牢屋、そして大学など、柱廊を持つ建物で 四方を囲まれていました。この複合建築は、正に町の要塞を形成し、現在は二つしか残存しませんが、もとは6つの門から入ることが出来たそうです。

この広場の中心に審判の間、現在のラジョーネ宮殿が立っていました。1800年代後半に二つの門が取り壊され、現在のメルカンティ通りが開かれ、当時の閉鎖された特徴が無くなり、ありきたりのドゥオーモ広場とコルドゥージオ広場を結ぶ通路のスペースとなってしまいました。

現在では殆どの建物は改造されてしまいましたが、中世の名残が今でも見ることが出来るメルカンティ広場は、残存した部分に面しています。

1873年に「執政長官の邸宅」が在った場所に借家が建造され、1872年にG.B. ソルマーニが建設したネオ・ゴシック様式の「ローディ市民銀行」、マッテオ・ヴィスコンティの要望で1316年に建てられた「オジイのロッジャ」は、1904年にボルサーリとサヴォルディによって修復され、法令や判決が広告された有名な「パルレラのバルコニー」が残っています。カルロ・ ブッツィにより1644‐45年に建てられた「パラティーネ高等学校」、公証人の家族の家だったものを1899年にルカ・ベルトゥラーミが修復して大きく改造した「パニガローラの家」など。

また広場の中心には1500年代の井桁(井戸の上部構造)があり、これは当時、有罪判決を受けた者がこれに座らされ、さらし者にされたという「罪人の石」があった場所だそうです。

ここでちょうど一年前、保険会社の撮影がありました。
非常事態に備えて保険に入りましょう、というコンセプトです。

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ミラノ歴史 | 02:14:03 | トラックバック(0) | コメント(0)
ゴッホ展
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ミラノ王宮にてゴッホ展「人と大地」が開催されました。
10月18日から来年の3月8日まで見ることができます。

フィンセント・ファン・ゴッホは後期印象派の中でも最も名の知られたオランダ出身の画家。生前は全く作品が売れなかったものの、死後急速に評価を高め、現在では後期印象派を代表する画家のひとりとして重要視されています。

後期印象派とは、印象派の後にフランスを中心として主に1880年代から活躍した画家たちを指す便宜的な呼称です。この区分は印象派に対する態度によるものであることから、様式的な共通性は希薄で、それぞれの画家の画風は大きく異なります。
一般的には、フィンセント・ファン・ゴッホ、ポール・ゴーギャン、ポール・セザンヌなどを指します。

ゴッホは絵の具の質感を顕著に感じさせる力強く荒々しい、やや長めの筆触や、絵の具本来の色を多用した強烈な色彩による対象描写で数多くの作品を制作しました。特に画家の内面をそのまま反映したかのような迫真性の高い独自の表現は野獣派(フォーヴィスム)やドイツ表現主義など後世の画家に大きな影響を与えたました。

印象派の傾向を受け、それを出発点としながらも、批判的に継承しつつ、厳密な形態の復活、原始的な題材や激しい色彩の導入などの独自の特徴を生み出し、20世紀の美術のさきがけとなりました。形態においても、色彩においても、また思想においても、19世紀の美術と、フォーヴィスム、表現主義、キュビスムなどの20世紀美術との橋渡しをしたといえます。

Vincent van Gogh_Contadini che piantano patate_1884

今回展示されている各品の一つに「ジャガイモを植える農夫たち」があります。
合唱曲「農夫と土」を思い出しました。


耕して 種を撒く土
人みなのいのちの糧を
創り出す土
耕して種を蒔く者
農夫らの楽しみの種子
悲しみの種子
ともかくも種子がいのちだ
朝 星をみて野良に出る
働いて 額に汗して
夕星を見て帰るのだ
種子をはぐくむ土こそは
種子をまく者の夢だ 望みだ
そして祈りだ
花さき みのる 毎年の
約束の不思議さよ



未分類 | 16:31:16 | トラックバック(0) | コメント(0)
ミラノの晩餐。
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ミラノ王宮では昨夜、イタリア大統領のジョルジョ・ナポリターノに招待された、53カ国の代表者によって晩餐会が開かれました。

昨日の午後は地下鉄ドゥオーモ駅は閉鎖され、ミラノ王宮に隣接した美術館もクローズにして各国からのVIPの受け入れる準備を進めていました。その後、王宮へ入るための導線を確保するために広場にも柵が設置され、警察車両に誘導された車が続々と入っていきます。

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ちなみにプーチン露大統領は乾杯から少し遅れて到着したそうです。

現在、博物館と展覧会の場となっている王宮の場所には、都市国家時代に政権の本部が置かれたブロレット・ヴェッキオがありました。
君主制度になったときに宮殿はヴィスコンティ家の住居になり、1330年に同家のアッツォーネの要望により、周囲の二つの中庭が再建され、その一つは現在でも内部に見ることができます。

公爵邸が現在のスフォルツェスコ城に移転されたのは1467年、その後、この建物はスペイン統治政府(1535年)、そしてその後オーストリア統治政府(1707年)の本部になりました。

1772年から1778年にかけて建築家ジュゼッペ・ピエルマリーニが、ドゥオーモに面していた建造物部分を解体し、ネオ・クラシック様式のファサードに面した第一の中庭を開放、そして広場にしたのが現在の形となっています。

内部改装によって、大階段や三階の住居部や「女身像柱の間」も同時期に建造され、今回の晩餐会はこの部屋で行われました。

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この女身像柱の間は1776年に焼失した宮廷劇場が在った場所に造られましたが、1943年の爆撃で被害を受け2000年に修復されたものです。

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未分類 | 16:03:50 | トラックバック(0) | コメント(0)
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